六 猫谷(4)
マロは驚いてツララを見た。
自分の知っているツララと違う、いつからこのようにたくましくなったのであろうか。
一体この娘は何者なのだ。この落ち着き払った態度は並みの家持ちではない。
だが混乱している余裕はなかった。
ブチをにらみながら、
「しかし、お前。ここを出てどう暮らすと言うのだ。深窓のお前には野良は無理だ。お前に辛い生活はさせたくない。お前はここに残れ。仕置きは受けるだろうが殺しはすまい。俺は闘って死ぬ。」
「死ぬ?今のあなたのままで死んで一体あなたに何が残るというのです。残された私は何もなかったあなたの気持ちを抱えたまま放り出されてそれでどうするのです。」
マロはハッとした。確かにそうだ、死んでどうなる。俺が生きた証はまだ何もないではないか、逃げよう。
腹は決まった。
「ツララ、済まなかった。共に逃げよう。二匹でぶつかるように立ち向かえば勝機もあるだろう。」
言い終えるや否や共に駆け出した。ブチのつくったわずかな隙間をめがけて突進した。ブチはうろたえた。
「こいつら、本気か!」
思いがけない二匹の反撃であった。
絶対の自信を持っていたから、相手がすなおに服従するものとばかり思っていたのだ。
ブチの体がわずかに揺らぎ、その傍らを二匹がすり抜けたかのように見えた。
その瞬間、ツララの体がマロから離れ宙に飛んだ。
「そうはいくか、この裏切り者!」
植え込みから密かに事の成り行きを見ていたシミが、飛び出しざまツララの足を払った。
一瞬の事であった。
「ツララ!」
マロは振り返り立ち止まった。
ツララを見た。眼は逃げろと言っていた。
シミに押さえつけられたツララが叫んだ。
「マロ!逃げて!逃げ抜いてください。逃げる事は今のあなたにとって恥ではない。恥じるとすれば自身の短慮です。今は堪えて、今は振り返らないで!」
「小僧!よくも俺様に恥をかかせたな。殺してやる!」
ブチは態勢を立て直し猛然と駆け出した。だが肥満が災いして出足にキレがなかった。
ツララはシミの手を振りほどきブチに必死の体当りをした。
体が大きいブチにとってさほどの影響はなかったがそれでもマロに逃げ切る時間の猶予が生まれた。
マロは走った。
再びシミに捕えられたツララにはマロを追うブチの後姿しか見えなかったが、はるか前の方から声だけが聞こえて来た。
「ツララ!済まぬ。俺は逃げる、逃げるがきっと迎えに来る。それまで辛抱してくれ!」
被せるようにツララの頭上から勝ち誇ったシミの嘲笑が聞こえた。
「フンッ、デジとまるで同じだ。所詮は野良猫、臆病者だわ。」
「ツララ、お前も馬鹿な奴さ。良い気味だ。これからは心を入れ替え、せいぜいブチ殿に可愛がってもらうんだね。」
「手を放しておくれ。もはや逃げぬ、逃げる理由も見当たらぬ。マロさえ逃げてくれれば私は私で生きて行ける。それよりも、そなたの身が案じられる。決して美しさを損なうとは思えぬのに心の傷は顔の傷ほど癒えぬと見える。憎しみほど醜い物はないと言うに一生背負い込んで生きて行くのか。」
「可哀想なシミ。」
「何だってえ!生意気を言うんじゃないよ!顔を傷つけられたあたいの気持ちなんか、ちやほやされて生きて来たお前に解って堪るか!」
お前にも同じ目に合わせてやる!と叫ぶや爪をツララの顔に振り降ろした。
だが振り降ろしたはずのシミの手はその体とともに遠くへ飛んだ。
太い腕が寸での所でシミを払い除けツララを守ったのだった。
「止めい!シミ。ツララに傷つけるなどもっての他、分をわきまえよ。」
息を切らせたままのブチがそこにいた。
(七 予兆(1)に続く)
●猫谷のキャスト(登場順)
デジ(猫谷の野良猫)
ゴミ捨て場で生まれ育ち捨て場のデジと呼ばれた。谷に於ける騒動の発端を作る。
シミ(猫谷の家持ち)
捨て場のデジに顔を傷つけられ己を失う。
ブチ(猫谷の家持ち)
奢りの淵を覗く。
クロ(猫谷の野良猫)
西の新天地を目指す。島の猫として生きる。
マロ(猫谷の野良猫)
三毛猫デジの幼友達。
ツララ(猫谷の家持ち)
白い体、瞳が青。烏と会話ができる選ばれし猫。
猫谷余計なお世話^^
猫は雄通しが遭遇した場合に直ちに決着を図る。テリトリーは自らの生存率を左右するからだ。他の獣と同様に自分の体を大きく見せる。深く傷つかないために工夫された本能だろう。筆者はたまたま睨み合いの現場に遭遇し写真を撮った。
YOUTUBE:catwar090705
http://www.youtube.com/watch?v=Uz7-cCDm0k0
付録
猫谷物語テリトリー図:色分けされたテリトリーにキャストが出ますよ^^
http://www.furagadou.com/nekogayatsu/nekoterr.swf







