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東京生活

第一夜 神楽坂
Show Must Go on


五月の夜に僕は神楽坂をのぼっている。もう余程遅いに違いない。ずらりとならんだ店は全部閉まっているようだし、辺りに人影もなく、自分の足音のほかは何一つの音もしない。ただあかあかと、街灯が並んで坂の上の方に消えている。


月が上弦に懸かっている。


ざらざらとした青白い粒子のあかりが、少し汗ばんでいる僕の肌に感じる。こんな夜は何か良くないことが起きるのではないかと予感した。


そんな神楽坂をのぼっている自分を後悔しながら歩いていると、坂の上の方からなんだか非常に小さな人間がふらふらと歩いてくる。ああ、これが良くないことかも知れないなと思ってどきどきしていると、それは果たしてまだ歩き始めたばかりの頃の赤ん坊であった。赤ん坊はまるで酔っ払いのようにふらふらと坂道をくだってくる。こんな夜更けになんて危ないのだろう。母親は一体に何をしているのだ、と思って辺りを見渡すと、坂の頂上辺りが何となく賑やからしく明るく見える。ああ、あそこに母親が居るのだろう。


赤ん坊はきゃきゃ言いながらなおも坂をくだっている。僕は急いで坂を登り、母親に一言云わなくてはならない。

 

さて、坂の上に近づいてみると、どうやらそこは酒屋らしかった。あかあかと裸電球が灯って、店先には腰の高さ程の汚らしい、大きな台が置いてある。その周りには五、六人の人がコップ酒をあおりながら、一言も口を利かないで、もくもくと台の上にある大きな何かをちぎっては食べている。僕は何か怪しいものを感じて、目を凝らしてよく見るなり仰天した。その五、六人の姿は、白いセーラー服を着た高校生くらいの女の子であった。不良学生かも知れない。ためらいながらもなお良く見ると、台の上に乗っているつまみは、ぶよぶよしたピンク色の胎児である。彼女達は柔らかそうな胎児を指先でちぎってはぴちゃぴちゃと音を立ててすすりながら食べ、セーラー服の前を赤黒くびしゃびしゃに汚しながら黙っていくらでも酒を飲んだ。台の上の胎児はちぎられる度にうごうごして、大変苦しそうに見える。


何てむごいことをするのだろうと思って彼女達をなおも見ていると、誰かよく一人、知っている顔があるのに気が付いた。今、胎児をちぎって食べているあれ、あの女の子は僕の同棲している能理子さんではないか。


能理子さんが何故今時分、こんなところでセーラー服を着て酒を飲んだり、むごいことをしているのかは知らないが、早く止めさせなければならない。僕は一歩前に出て「能理子さん」と云おうとしたそのとたん、思わずはっとしてしまった。能理子さんの足元が変な色をしたげろだらけである。よく見ると他の皆の足元にも吐いたげろがぬるぬるたくさん溜まっていて、つんつんした臭いが辺りに漂っている。彼女達は黄色や緑色のげろを吐き、また胎児をつまんでは酒をあおる。そうして下を向いてはまたげろを吐く。胎児は苦しそうにうごうごのたうち回っている。またちぎっては音を立ててすする。能理子さんも虚ろな目でげろを吐いては酒を飲んでいる。


突然、街灯のスピーカーからヂンタが流れだした。軽薄な、しかし何となくもの悲しいメロディが空っぽの神楽坂にこだましている。


空気はいよいよ青白くざらざらとしてきて、酸っぱい臭いがむせ返るほど僕のところへ流れてくる。能理子さんは僕なんかにちっとも気が付かずに、あ、また胎児をちぎっている。口から赤黒い血とげろの混ざった液体が垂れて糸を引いている。何だか僕は気持ちが良くない。お腹の辺りがぐるぐるしてきた。鳥肌が全身に立って顔が青白くなって行くのが自分でも判る。能理子さんがこっちを見た。


口からどろどろを垂らしながら目を三日月のようにして笑った。
僕はきゅーっと何か、お腹に来るものを感じた。胃袋から何かのかたまりがうわっと喉元に上がってきた

「わっ」
 僕は目が覚めたらしい。
少し目を開けると、一緒に寝ていた能理子さんの頭が僕のお腹に乗っかっている。


寝覚めが良くない。僕は突然「しまった」と思い出した。
神楽坂の赤ん坊のことが心配で心配で、どうにもならなくなってしまった。

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まつばらあつし作家:まつばらあつし http://www.asahi-net.or.jp/~tz9a-mtbr/
イラストレーター

1960年東京生まれ。イラストレーションやFlashアニメーションを中心に雑誌や広告、Webで活躍中のクリエイター。MacFan、MacPeopleなどのMac系雑誌ではライターとしておなじみ。Applestoreでのワークショップやトークステージも大好評。お絵描き屋さん&文字書き屋さん。 日本映画テレビ技術協会会員、デジタルイメージ会員、ナショナルジオグラフィック協会会員、中国・石家荘東方美術学院 客員講師

 



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